本日、2023年10月28日を持ちまして本ブログは開設から10年が経ちました。
このブログを開設した2013年当時の私はまだ高校生でしたが、今は社会人。
今年で3年目になります。
年齢も25歳、もうアラサーになっちゃいました……。
10年の振り返りまではしないにしても、何か書こうと思い……こんなものができました。
この10年はどんな感じ?
昆虫に、昆虫採集に対する解像度をより一層高められた10年でした。
大層な目標もなく遊びの延長で始めた虫とりでしたが少しずつ知識を得て、それを元に大学で研究(?)をやり、なんとなく高めた専門性を武器にして……それを磨きながら今の会社で働いています。
私の人生に昆虫採集は大きな影響を与えたどころか……それを主軸に人生の舵を取ることになったほどです。
結果論でしかないけれど、昆虫採集を投げ出さずに続けてきたことや、こんなブログをやっていたことにさえ「ちゃんと意味はあったんだ」と思うことが出来るようになりました。
だからまだ続けていきたいですし、「こんな風にしたい」という展望も朧げながら持っています。
これからの話は最後にすることにして、
最近、というかこのブログの更新が滞った期間中何をしていたのか、という話でもしようかと思います。
いつもこんな感じですね。ちゃんと更新ができていればこんな話をする事も無いのですけど……
最近のフィールドワーク
今のところ土日が潰されるほどの激務に追われる事はほとんどなくて、週末は基本どこかに出掛けて好きなように虫を採っています。好きなことに没頭する時間は精神衛生上大事です。
ほんとに大事です。必要不可欠ですよね。
今年は東海行ったり、東北行ったり、長野行ったりしました。でも基本は疲れすぎないように埼玉で活動しています。
やってみたい採集や探したい虫は尽きなくて……逆にどのタイミングで休養を取るか、採集以外のことやるか悩まされているような感じです。
ここであんまりちゃんと話してない気もしますが、就職してから昆虫以外の生き物も少しづつ見るようになってきました。
野鳥観察がメインの日もたまにあったりで、採集をやらかなかったとしても野外に出る動機は増えています。
今冬あたりそろそろサンショウウオとか探しに行ってしまうかも知れない……。
ただ……無理に外に出ている、と感じることが最近増えているようにも思います。
「時期を逃すから、
今日動かなけければいけない」
「まとまった休みなのだから、
遠方に出なければいけない」
「条件がいい日だから、
狙いがなかろうがやらなければいけない」
とか。
心身の調子は後回しにして、その時「やらなきゃいけない」と思ったことをする……そんな風になってしまっている。
全部ではないけど、今年の夏はけっこうそんな感じでした。
遠征先まで来て、「本当にここに来たかったんだっけ?」と考え始めるとか、憧れの虫を毒瓶にいれて「これが本当に自分のやりたいことだったんだろうか?」と急に今更過ぎる自問を始めるとか、自分の行動に気持ちが追い付かなくなってしまいました。
じゃあなんでそれでも行くかというと結局、どこかに出かければ必ずなにかの発見があって
「ほらやっぱり来てよかったでしょ?」
で終わるからなんですよね。行きたくないわけではないんですよね……
(写真は直近で一番それを感じた場面。いずれ採集記を書きます……)
もちろん元気ならガンガン採集行きたいけど、基本元気ではない!
だから元気じゃなかろうが行ってしまうんだけど、本当は休みたいはずじゃん!?
虫とりはしたくてするんだけども、やらなきゃいけなくて無理してるみたいになってきたから、半端な気持ちで生き物の命奪って「どうなのそれ?」みたいに思い始めるし……
一体どうすればいい!?
どうやって続けていけばいいんだ!
答えてみろルドガー!
考えれば足を引っ張っているのは……なんかこう、自律神経の乱れ的なものだろうという気がしています。
仕事で常に肉体を酷使するということはなく、メンタルを病んでいる訳ではないので、日々の回復が上手くいっていなくて負債が溜まっているのではないか。と。
そう思い最近(ほんと最近、10月くらいから)ようやく睡眠とかにちゃんと気を使うようになりました。
上手に眠れた翌日の目覚めの良さがもう……桁違いで。
「ああ、これが普通にできるようになったら色んな事に対するモチベーションが戻ってきそうだわ」
と実感しつつ、久々のブログも日々ちょっとずつ書けるようになってきました。
(この記事は2週間以上かけてゆっくり書いています。これでも大分頑張って直したんですけど……)
元気のない日は文章書けないですね。「要らねえよこんなもの!!」ってなっちゃいます。
根本的に元気がなかったり、作業環境を整えなかったりしてたから書けなかったんだ……ていうのを本当に痛感しています。
何の話でしたっけ。
「いつでも行けるぞ」というコンディションが整えられるようになったら、フィールドワークももっと精力的に? というか心身共に? 楽しめるような気がします。そういうところまで行き着くのが最近の目標です!
(秋冬はどちらかと言えば標本整理がんばりたいので、来春に向けて)
標本の大整理(全然終わっていない)
今年の春に2022年までの採集品のラベルをつけ終えたので、全標本の整理を兼ねて全ての過去標本にもコレクションラベルをつけようというプロジェクトをやり始めています。
2017年春以降の標本データはExcelに入力しているので、以前のものもデータ登録して標本につけたコレクションラベルとデータを紐付けた管理に繋げようというものです。
ぶっちゃけ、自分の標本に関してコレクションラベルつける意義ピンと来てないんですけどね……あった方がいいだろうとは思うんだけど、それがどうやって活きるのかイメージが出来てません。
博物館とかに寄贈したとして、結局施設のナンバーで付け直すわけではないんですか?
10年分のシジミチョウです。最優先のタマムシ科を終えたあと、場所をとる鱗翅目から手を付けています。
意味とかは置いておいて、趣味的にはその後のステップにもつながる大事な作業なので後回しにせず早く進めたいのですが、ラベルの刺し直し、同定の見直し、Excelに未登録なデータの入力も併せて行っていてあまり進んでいません。
データは2017年春以降しかないので、2013~2016辺り(高校生の頃)までは追加が必要です。そこまでやれば自分が所有する標本の総数が把握でき各分類群、種ごとや場所ごとの確認や抽出が可能になります。
(これが将来の報文なりブログなり書くときに活きてくると思うんですよね……)
作業の進捗として今は4割くらいまで来てますかね。まだ先は長い……
もたもたしているうちに、今夏は展翅板にチャタテムシが大発生して大惨事になってました。
(いくつか標本が破損したけどそれを見たおかげで、やっと標本整理にスイッチが入ってきました。)
報文を書……
これまでの採集でいくつか「これ報告した方がいいですよね」みたいな話は実はあったのですが……やらなきゃと思いつつずっと放置してしまっているものがいくつかあります。
まずは自分で何か順序だてて行動をしなければならないと今年(ようやく)感じ始め、書き方とかの手順を改めて勉強することからスタートしました。
こういうの読んで、形から入ろうと思って……。
そういう作法とか何も知らないし、今まで学ぼうともしてこなかったなと痛感しました。
まだ報文は何ひとつ完成してないのですが……その過程で学ばされることが本当に多いです。
どことなく分かっていたような気になっていた事が、実体験の中でよりはっきり感じられたような気がしました。
・目録データ化して公開してくれることのありがたさ
・読み手の事なにも考えてくれない記録
・拾いきれずに埋もれていく報告の多さ
・拾いやすい記録にするための工夫の大切さ、難しさ
そしてブログならではの強みとか、ここで果たせそうな役割はあるか……と考えさせられています。
報文の作成は(経験不足で凄く苦労してしまうが)自分自身学べる事も多いし本当にやらなければいけないことと感じるので、ちゃんと取り組むために余裕を作らなければいけないなと思いました。(で、心身のコンディショニングの話に回帰するのです)
ゆっくりですが進んではいます。これからです。
生物分類技能検定の資格を取りました (2級:動物部門)
去年の秋に受験し、なんとか合格出来ました。
(運が良かったとかは言わない、ちゃんとがんばったから……)
生き物を趣味で見ている、というのであればこの資格の名前は聞いたことある、という方もいるかなと思います。
生物の分類、に限らず分布や生態、関連法など幅広く生き物に関する知識を問われる資格です。
引用:自然環境研究センターHP「各級のレベル一覧」(2023年10月16日閲覧)
難易度やレベルはHPなどに書かれているので引っ張ってきました。
哺乳類、両生類、爬虫類、鳥類、魚類、昆虫類の大きく6分野(+と他の無脊椎動物が少し)から問題が出る資格で、2級以上をもっていると一応プロの動物屋レベルという事になっています。
実際、過去問を見て初めてその難易度を知ったのですが、だいぶキツかったです。去年の秋はほぼこれの勉強で時間が溶けましたが、おかげで何とかなりました。
昆虫は……越冬などの生活史とか、亜科や属などの色々なレベルで分類とか、実際に年中採集に出たり標本を作って整理する中で段々と身についていくような(自分にとっては簡単な問題でも、ゼロから勉強して覚えるのキツそう……みたいな)知識を問われることが多いなという印象でした。
2級の合格率は良い年だと15%弱くらいですが、昨年の合格率はわずか5.0%(最悪のレベル)でした。落ちてたら一生カケスが嫌いになるところでした……(笑)
仕事で(たまに)必要になるからという理由で頑張って取ったのですが、趣味的な場面でも自分の発信する情報に多少なり「説得力」を持たせてくれる資格だなあと思いました。
(この資格の信頼度? は試験問題に触れたことがある人にしか、きっと分からないが……)
あればあるで、いい加減なこと言ってると怒られそうで怖いですけどね。
趣味の情報発信は多少雑でも大目に見てほしい、という気持ちです。
(受け手のネットリテラシーに委ねたい)
なお、当然2級の上には1級があり、1級はさらに各分野ごとに分かれています。
受験資格を来年得るので、そしたらいよいよ昆虫1級を目指す戦いが始まります……
このブログの今後は?
ここ数年で3回くらい「今後の話」みたいなのをやっている気がします。
自分にはまだこのブログを続けていきたいという気持ちはあるのですが、実際全然続かなくなって、こんな事を繰り返していました。
なぜか? 考えればすぐにわかることでした。
このブログには当初から明確な目標はありませんでした。
なんとなくその時々で共有したい、文字に起こして残したいと思った記憶を書いていたに過ぎません。
「なんとなく続けたい」程度のものが、他の真に「やるべきこと」より優先されるわけはありません。
結果どんどん後回しになって、優先度が低いブログの更新が滞ることになってしまいました。
ごく稀に(2ヶ月に1日くらい)やる気が出る日があっても、
「お前が書くべき文章はこれじゃないだろ」
っていう気持ちがどうしても湧いてしまって、最後まで書けずに度々挫折していました。
スマホやPCに残った途中まで書いた記事の残骸がいっぱいあった。
本当にボツになるか、いつか完成するか……
思い出深い採集はいくつもあって、しっかり採集記を書きたかったはずでした。
しかし先述したように書こうとしても気力が湧かず「要らねえ!!!」って思うばかりで。
実際そうなような、気も……するし。

魂に刻まれた場面いっぱいある。でも共有する意味あんのか…..?
書かなくなったばかりか最近は他の人のブログも追えなくなってきました。
自分のライフスタイルの変化と共に、ブログの存在がどうでもよくなってきている。
時間かけて採集記書いたところで役立つ事もあるのか分からなくなるし、そのほかにもいろいろ……と。
などと、多くの疑念を抱きつつも私がブログを完全に辞めてないのは、やっぱここでしかできない話というのがあるからだと思っていて……
ちゃんとした文書には乗っけられない気持ちの話とか、短文投稿や会話で伝えられないこととか。
そういうのを自分でもじっくり嚙み砕いて昇華する場所として、自分にとって必要な場所だと……思う。
いや、そういう場所にしてしまった方が都合が良いとも……?
このブログの役目?
(ここからはすごく……ぶっ飛んだ話をします)
これまでの人生で自分の中に積みあがってきた記憶をここに複製していくのです。
そしたらそれを読んだ誰かの記憶の中に私の経験値や価値観が上乗せされるじゃないですか?
(これまで書いてきた、なんかの採集法とか標本の作り方とか、そういうの……信憑性が全くないにも関わらず真似したという人はいませんでしたか?)
それらが各位の人生で活用され、人それぞれの経験を経て最終的に私より優秀な人たちの手でよりよいものが産み出せる状態まで到達したら……オリジナルな自分に特別さはないというか正直必要ないじゃないですか。
「一生懸命作った標本でも、結局は専門の研究者の手元や博物館=自分よりそれを活かせる人や場所に渡っていた方がいい」っていう感覚分かりますか? 同じことですよね?
自分の持っている標本にどれほど価値があっても、それを託した後の自分そのものは何の役に立たないですね。
「データと思考ルーチンがあれば生きていることと変わらない」
少し前に、こんなフレーズを見かけてからです。先述したようなことを考えるようになりました……。
これは何の話かというと、ネット上とか別の人の記憶の中とか……自分自身をどこかに再現できるような、自身と同じ中身のものが偏在するような状態が作れていたら、オリジナルの肉体はもはや要らないのではないか(生きてる意味ないんじゃないのか)というようなことです。(という解釈で良かったのかな)
詳しくは……いや、知らなければ知らないままでいてください。
先述したように、自分の思想や持ち物を全て然るべき人に託すか残すかすれば、自分の望みを誰かが代わりに、もっといい形で実現してくれるみたいなのが出来そう? じゃないですか。
そしたら、自分がやらなきゃいけないとか、居なきゃいけないとかから解放され……
「いつでも(悔いのない)ゴールできます!」という所に到達するんじゃないかな、って思ったんです。
それは大変理想的で、そういう生き方が出来たら思う反面、腑に落ちなかったのは……
肉体の存在があってこそ起こりうる事象もあることです。
例えば「県未記録の虫を近所で見つける」とかどうでしょうか。
それは技術的には自分だけが出来ることじゃないけど、その時その場所に自分が“存在”したことで発見されるのです。
自分の知識や経験値が多くの人に共有されても、実際同じ行動を起こすわけではありません。完全な複写じゃなくて、上乗せだから。
住んでいる場所や興味が違えば探す場所も時期も変わる。そうなるとその県未記録の虫はオリジナルの自分の存在なしには発見されないまま絶滅する可能性すらあります。
自身がどれだけ才能に恵まれていなくても、生きている限り偶発的に自分だけがする体験があり、そこから得る知見がある。
ある時点で存在を終わらせてしまったら、その後自分だけが入手できたであろう知見とか得られたはずの経験値がやっぱ失われてしまうんですよね。それが重大なものであるほど、他の人にとっても損失になってしまうのです。
これが、肉体を残さないことによる損失、存在の有無で生じる差だと思うのです。
(これ伝わらない気がするな、たぶん……)
自分自身の思考や経験を完璧に複製して伝達し、自分にしかできないことがこの世から一切無くなったとしても。
偶然自分しかやらなかったことが、新しい発見の可能性を残します。
だから自分の全てを託した後も肉体を存続させる意義が、“必要性”がある、そうなってしまうんですね……。
存在し続けるという事は、経験を重ねるごとに自分自身のデータもアップデートされていくわけなので、完全な複製体を置けるようになるのは自分が知識を得るための活動を完全にやめた/できなくなった後、ということになります。
そこまで到達した上でなら、「データと思考ルーチンがあれば生きていることと変わらない」でしょう。
むしろ自分の活動限界後も、誰かに分身を託すことで他人の中で自分の意思を活かし生き続けていくことができましょう……!
(この話いる?)
という……なんかの、考察でした。(笑)
非常に難解な文章になって申し訳ないんですが、結局言いたいことはこれだけ↓です!(笑)
このブログの役目は、私が昆虫の命を犠牲にして対価として得たもの(知識でも、技術でも価値観でも何でも……)を無に帰してしまわないよう、
なるべく多く残し、誰かに託すことです。
これからの目標
なんかだいぶ脱線しましたが、ここまでの話を踏まえて最後にこのブログの今後の目標を述べておきます。
とりあえずは……
①可能な限り更新は続けます。
過去記事もちゃんと直したいし、新しい記事も書いていきたいですね。
記事書けるように自分の調子を整えていくことからまず、がんばってみます。
最初しばらくは自分の調子と相談しながら、
②月1くらいの頻度から始めます。(ペース上げれたらなおよい)
今の段階で頻度は大事ではなくて、更新を定期的に続けていける体制を作ることをまず目指したほうがよさそう。。
あと2つくらい目標(見直しの回、アクセス数)は立てたけど、ここで詳細書いても仕方がない事なので割愛。
上の2つすら要らないと思ったけど具体的な目標を示しておいた方が、やらなければいけないという気になるかな、やるべきことも明確になるかなと思って書きました。
とはいえ、このブログがこれから大きく変わっていくことはない予定です。
前、あんま書かないとか言ってたかもしれませんが普通に採集記も書くと思います。
今まで具体的に考えてこれなかっただけで、目指すところは多分昔からそんなに変わってないんです。
もちろん、
昆虫採集を”ガチ”でやっていこうという気持ちは10年前のあの頃からずっと変わっていません。
「本気でやれた」と思える時までその軌跡を記していく事もまた、この趣味の一部だと思うので……
自分を追い詰めるようなやり方にならないように注意しつつ、今までよりはもっと真剣にやってみますね!

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