【お知らせ】長い間死んでたFeedlyのリンクを蘇生させました。
ブログの最新記事の更新情報を受け取れる超便利なツールなので、良ければ登録してください。
(ページ下のボタンから)

先日、大学(学部)を卒業しました。
4年間の長野県生活を終え、春からは別の場所で新生活を始めようというところです。
(どこに移ったかっていう話はいずれ採集記で話すことにしてもいいかな?)
本ブログの開設時は高校1年生だった私も、この春から社会人です。マジかよ……
学生生活を振り返ると、記憶とともにいろいろな思いが込み上げます。
楽しかったこと、
キツかったこと、
いろいろな人と出会ったこと、
新しく出来るようになったこと、などなど……
何より長野県という、豊かな自然に囲まれた場所で昆虫採集を続けられたことは、本当に自分のためになったと思います。
趣味の昆虫採集についても、学生生活についても充実した4年間でした。
心残り? といえば、時間の学生のうちにやっておくべきだと言われるようなこと(例えば離島遠征とか)を全然やらないまま終えてしまったことでしょうか。
しかし今の自分の力量と熱意を客観的に見て無理なく楽しめる範囲でやりたい事をたくさんやったと思うので、私は満足しています。
数年後、数十年後にまだ自分がしぶとく生きていたらこの行いを悔いるかもしれませんが……自分ならこの意味も理由もちゃんと分かってくれるよね!(笑)
時を遡ること2020年の話
このブログやTwitterでもあまり私事を話さなくなっていたので、ここで去年の話をちょっとしておこうと思います。
国内で新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年。私は学部4年生でした。
この先の進路は大学院に進学するか、就職するかのどちらか。
冒頭で述べた通りで、
私は大学院に進学しませんでした。
親から「さっさと就職しろ」と言われたのもまあ、あるのですが……自分自身が研究室に所属して実際に卒業研究やったりする中で『院進して研究続けたい』という意欲があんまり……湧かなかった事が大きいです。
調査するだけなら脳死で楽しくやってられましたが、結果の分析や考察になると私の能力では厳しくて、ほんとしんどくて……一年間研究みたいな事やるだけで精一杯でした。
とはいえ大学でちょっとだけ身についた(と思う)スキルは絶対に役に立つと思っています。
今後は研究でなく趣味として昆虫採集を続けていく事になりますが、その上でも研究的な楽しみ方というか、今までと違ったやり方が生まれるのではないかと思います(それこそ研究ごっこ、エセ学術と言われてしまうようなものですが……)。
就職先も研究室で学んだ事が多少活かせる業種だと思うので、無駄な時間を過ごしたとは思っていません。
更新が止まり始めた頃の話
この4年間は基本的に長野県で楽しく昆虫採集やってましたが、ブログの更新頻度は劇的に落ちてしまいました。
記憶と過去の記事を辿ると、2018年辺りからいろいろなモチベーションが維持できなくなり、2019年の夏頃からブログの更新が途絶え、以降は散発的に記事を上げたのみ。
採集記らしい採集記も書かなくなっていったし、こんな風に私情を書く事は全くなかったように思います。
なんでこんな事になっていたのか……?
ブログの更新頻度が一気に落ちた2019年に遡りますが、年末頃に「これからの話」という記事を書きました。
今は非公開にしてるので、その記事の内容をまずは要約します。
何ヶ月か身の回りのことがちゃんとできてなくて、採集記をじっくり書く余裕もありませんでした。
しかし楽しかった採集や魅力的な虫の記憶が薄れていってしまうのがなんだか虚しかったので、今の自分のライフスタイルに合った形でできるようにします。
ただの採集成果の報告だったものから、読みやすい文章を作るの目指すことにして、かつて書いていた採集記のようなものはもう書かなくなると思います。
こんな感じです。
このブログについて、また自身の昆虫採集についてどういう形が理想なのか、自分に合ったやり方なのか……思い悩んでいました。
(思い悩んでいた は違うか……?)
採集記の継続的な更新ができなかった2年ほどの間にもいくつかの記事をあげていたように、自分としては元のようにブログを立て直したいという思いは一応ありました。
スマホのメモ帳とか、FC2管理ページの記事一覧には途中まで書いて挫折した下書きがいくつも残っていました。
その中には、「もうこのブログを続けるのはダメみたいです」というような文章が書かれたものも。
一時は本当に書けなくて、「書けなくなりました」という内容の報告すらも書けなくて……
以前からブログ記事を書くときに、虫と全く関係のない自分自身の話をすることが時々ありました(本記事はまさにそれ)が、そういったものの積み重ねが後々になって自己嫌悪を産み始め……ブログを消してしまおうかと思ったことも何度もありました。
ただ過去の記事に何人か「消さないでください」とコメントしてくださった方がいたこともあり、思いとどまることができました。
自分自身も完全になかったことにはできないというかしてはいけないと思い、一時的にほぼ全記事非公開にすることでしばらくブログから距離を置くことにしたのです。
それでこの2年くらいの間はやる気が唐突に出たときに書いて更新したり、過去記事の再編集をしたり。個人的に残したいと思った記事をいくつか蘇生させ、内容が薄いものを中心に結構な数の記事を封印しました。
採集にはちょこちょこ行っていましたが、その記事を書くことはほとんどできずにいました。
確かに研究室に配属されて以降は就活や研究で以前より忙しくなった、だがブログ書けないほどではないはずだった……
やるべき事を頑張っているわけでもないくせに。
1日に30分、ブログ書くための時間を確保する事は決して無理ではないはずだ。
私には何故それすらできないのだろうか。
そう、思っていました。
この考え方こそが、私が繰り返し続けた数々の失敗の根本的な原因であるとも自覚できずに……
どんどん話が逸れるけど
いつだったか目にした
「自己肯定感の低い人間は自己評価が高い」
という言葉が自分に5,696,600回くらいブッ刺さって、それからいろいろ考え直したような気がします。
思えば今まで……
「頑張れば自分にもできるはず」
「もっと要領よくこなせれば」
「できないんじゃなくてやってないだけ」
「諦めなければ絶対必ずチャンスが来る」
「本気になれば全てが変わる」
何度も何度も、そんな言葉を自分に言い聞かせてきました。
初めは半笑いで受け止めていた言葉も、いつしか自分の精神的要素の一つとなるほどになりました。
そういう考え方は間違いではないと思います。
『熱血』と表現されるような考え方はわりと好きだし、自分も時々そうでありたいと思うことがあります。
ただ……誰もが当たり前にできる事が全部自分にも同じようにできると思うのは間違いかも? と思ったのです。
他者と比較して無駄にしてると思う自分の時間も、行動も……自分が何かをやる上では必要なものだったのではないだろうか。
それを踏まえて対処していかなければならないはずの事を、自分は「もっと上手くやれるはず」と、無駄を削ぎ落として最適化することばかり考えていた。
当然そんなのが上手くいくはずないのだけど、理想と現実の乖離を目の当たりにして、自らの無能さに失望して、気力を失って……
学生時代も、浪人時代も。いやこれまでの人生全てがそうなのではないかとすら思う。
ずっとこんな事を繰り返してきてしまった。
23年も人間をやって、やっと『自分』の特性というか、扱い方というか……そういうものが分かり始めた気がしています。
『自分』とそれを構成する要素をきちんと理解し、正しく評価し直すことが一番必要なことだったのだと今は思うのです。
ややこしい話になってしまった気がしますが……
他人より下手でも、めちゃくちゃ時間がかかっても……自分が無理なくできる方向を目指すことが重要なのでは?
私にとっては、それが一番優先されるべきだったのでは?
許容する事を私は「甘え」だとか「諦め」だとか言って嫌う節がありましたが……いくら自分を責めたり落ち込んだりしていても1ミリも前には進めない、進めなかったから……
やるべき事を進めたいなら、まずハードルを自分が超えられる高さに設定しなきゃダメだったよね……みたいな話です。
そして私が越えられるハードルは私が超えたいと思っていたハードルどころか、最低限超えなきゃダメでしょと思うハードルよりもずっとずっとずっっっと低い位置にあったのに、それを自覚できませんでした。
それが『自己肯定感の低い人間は自己評価が高い』ということなのだと、そのように解釈しました。
自己評価が高いから失敗を繰り返す、必要以上にショックを受ける、自己肯定感が下がる。
人によっては当たり前に思える事がまるで全然出来てない、極めて恥ずかしく情けないのが今までの自分で、今の自分です。
ダメダメだから人より何か上手くいかなくても失望する必要なんかない、当たり前じゃないですか。
ただそこで止まらず、人より多くの時間をかけて出来るようになっていこう。
そういう前向きな気持ちを持ち続けていけばいいのだ……!
しかしこれから社会人としてやっていく上で、超えるべきハードルはどこに設定されるのだろうと不安になったりします。
つまり、
私はこれから何を目指して生きれば良いのだろうか?
私の『人生』に求められるものっていうのは立派な仕事をすることでもない気がするし、お金を稼ぐことでもないだろう。
他者を幸せにすることでもない。
そう思うのはそういう目的が私には何一つないからなのですが、私の人生の方向を他人に決められるくらいなら『代わりに生きてくれよ』と思ってしまいます。
私には正直、どういう生き方をするのが正しくて何が間違いなのか分かりません。
そんなものは元々無いのか?
ただ一つ思っているのは……
私がすべきことは
自分が殺した昆虫たちに対し、
『虫屋』として、
最後まで責任を果たすこと___
すなわち、自分が作った標本が正しく利用されるように行く場所を与えてあげることだと思います。
それが果たされれば、それさえ出来れば後の人生がめちゃくちゃに失敗だらけでも、途中で終わりにするとしても。
最後に自分の人生に意味があった、と思う事ができる気がします。
当然ながら今の自分には標本を活かす算段が全く立っていません。失敗して全部無に帰する可能性もめちゃくちゃ高い。
しかし勘違いしてはいけないのが、これは義務ではないということ。
何故なら私がやっている昆虫採集はただの趣味であって、研究や仕事ではないから……
だから何も上手くいかなかったとき、私は自分を責めてしまいそうだけど、そうするべきではないのかもしれない。
そしてそういう末路を辿る人間を私は責められない……
しかし、もしダメだったとしても自分が昆虫採集をする中で得たものが全部無駄になってしまわないように何かを残しておきたいのです。
このブログはそのため……その自己満足のためにあるものです。
情報発信の手段として最善の手段ではないのは分かっています。
もっと『立派な』『理想的な』『効率的な』やり方があるのも分かる。
でも今はこれだけ。
自分に無理なくやれることで……
最近だと昆虫を扱うYoutuberとかも増えてきていて、私も結構見ているのですが、あれには敵わないなと思わされるばかりです。
採集の動画とか見てても、格好いい虫は『生きて動いてる』し、自然の中でセミや直翅目の鳴き声が聴こえてくるし……あの臨場感は文章では出せません。
最近になってやっと、ブログやってるよりYoutubeの方がいいよなーと思うようにはなりました。
しかし私には現場でトークする能力もないし、難しいというかやりたくないです(正直)
なのでブログを続けます。
(今度はちゃんと続くかなあ……)
情報発信に重きを置いた場合、動画や書誌と比較したブログの強さってなんだろうって考えた時に、一度出したコンテンツのURLを変えずに内容をアップデートできる事なんじゃないかと思いました。
だからこそ、そういう強さを活かせるやり方でやっていけたら最高だなと今の私は思っています。
しかし、それはあくまでも理想の話。
自分にできるレベルで、趣味として楽しめる範囲でやります。
そんな感じでやっとブログの話に戻りました……
一時はやめるかも思うほど落ち込んだモチベーションが今はどうかというと、ちゃんとやる気が戻りました。
このブログの目指すべき所が分かってきたというか、自身と昆虫との向き合い方が以前より定まってきたというか。
感覚的には一度喪失した熱意、というか執着心? が違う形で戻ってきたような感じ(?)
まだまだ迷走するとは思いますが、気持ち的には今後はちゃんと更新していける気がしています。
(社会人になって、ブログ書く暇もないほど忙しいとかだったら分からないが……)
そんな感じで、いつまで経っても考え方や気持ちの整理もつかぬまま。
採集対象の幅も広がりすぎて何屋なのか分からなくなっていくまま。
けれど、そんなぐちゃぐちゃな状態は満たされているが故でもあって、何色とも表現できない『色』が唯一無二の『自分』を形作っている気がするのです。
これからは、そんな私の『吉丁虫色の日々』を綴るブログにしていきたいですね。
なんだこの〆……(笑)

コメント