はじめに
生物標本は過去のある時点における生物の存在を示すものです。
そしてその標本の内部には、当時のDNAが残されている可能性があります。
生物標本の新しい活用方法として、近年注目を集めているのがDNA解析です。
標本に含まれるDNAを取り出すことで、分類や保全の上で役に立つ情報を得られることもあるのです。
最近出た書籍、『タイムカプセルの開き方: 博物館標本が紬ぐ生物多様性の過去・現在・未来』(種生物学会,2024)にはそのあたりの話が詳しく書かれています。
そしてその中に、「DNAを長期保存する昆虫標本の作製手法」という項がありました。
通常の乾燥標本の作製にひと手間加えることで、DNAの長期保存に適した標本を作ることができるのです。
手間がかかるとはいえ、標本の活躍を切に願う私にとってこの手法は無視できないものでした。
ということで今回は、DNAを長期保存する昆虫標本の作製にチャレンジしましたという記事です。
(本手法を用いて作成する標本を、本記事では「DNA保存標本」と呼ぶことにします)
実際に標本を作ってみる
まずは完成形を見て作業をイメージしましょうか。
『タイムカプセルの開き方』を参考にすると、以下のような標本ができます。
トノサマバッタのDNA保存標本
標本本体の下に、小さなチューブを通します。
チューブの中は保存液(プロピレリングリコール)で満たされていて、この中に脚など標本の一部組織を入れます。
乾燥標本のDNAは作製後の時間経過とともに劣化し、後の解析が難しくなります。
そこで組織の一部を液浸で保管することで、DNA解析用の試料を残すのです。
この手法自体は2019年に既に発表されていて、ネット上でも見ることができます。
(形態と遺伝情報を同時に保管する昆虫標本作製手法の開発)
これと『タイムカプセルの開き方』にならって、標本を作っていきます。
準備するもの
通常の標本作成道具にプラスして用意するものは以下の通りです。
1. プロピレリングリコール(PG)
一般的に液浸標本の保存液としてはエタノールが使われますが、プロピレリングリコールは蒸発が遅く、長期間の保存に適しているようです。
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2. PCRチューブ(0.2mL)
プロピレリングリコールを満たし、組織を保存するための容器です。
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3. パラフィルム
PCRチューブのフタに巻いて容器の気密性を高めるものです。
チューブの液漏れや保存液の蒸発を防ぎます。
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4. スポイト
プロピレリングリコールの移動専用に1本持っておきましょう。
ホームセンターで買えると思います。Amazonだと無駄に数が多かったりやたら大きかったりで探すのに苦労します。
採集してから〆るまで
とりあえず最低限の道具をそろえたら、実際に採集するところから作業の流れを確認しましょう。

チビアオゴミムシ君にお手本になってもらいます
まずは野外で昆虫を採集してくるわけですが、最初から注意すべき点があります。
コンタミネーションです。
標本に不要なDNAが付着していると、将来のDNA解析を妨げます。
したがって採集してから持ち帰るまでの間、昆虫の体に余計なDNA(ヒト、他の虫など)が付着しないようにする必要があります。
具体的にいえば、1容器につき1個体で持ち帰る、新品の容器を使う、といったことが注意点として挙げられています。

そもそも触っちゃダメじゃね?
DNAのコンタミとか考え始めると、素手で触るのがOKな訳ないと思うのですが……そこは言及がありませんでした。
そもそも野外で活動している昆虫には最初から各種の動植物から付着したDNAがあると思うのですが、それを考え始めたら採集後のコンタミ対策など焼け石に水に思えてきます。
そんな訳なので、このあたりはあまり神経質にならないでもいいんじゃないかと勝手に思っています。
(ぶっちゃけ真面目に対策やろうとしたら超めんどくさいので、この手法を試す気にならない)
昆虫を〆る処理については普通に酢酸エチルを使えばよいですが、ここでもDNAの損傷を抑えるためになるべく短時間で〆ることが推奨されています(長くて半日程度)。高温下で放置しないようにも気をつけましょう。
なお、亜硫酸ガスはDNAを破壊するため使用はNGです。
最近ではふつうに標本を作る上でも使用が推奨されないものになっているため注意です。
その後の標本作製
〆た昆虫から早いうちに組織をもぎ取ります。
ピンセットを使って脚を1本取り外せばOKです。
ピンセットは洗浄する
作業の前に、ピンセットは塩素系漂白剤などで洗浄します。
これもコンタミ対策です。先端を漂白剤に漬けて、ティッシュで拭くくらいしかやっていませんが、こんなもんでいいでしょうか?
同定に使わなさそうな脚を1本選ぶ
ピンセットで脚を根元からつまんで引き抜きます。
消化管が混ざるとコンタミの原因になるので、引き抜き過ぎないように注意です。
よく見ると線があるので、その辺りまでPGを入れる
取り外した脚をPCRチューブに入れ、スポイトを使ってプロピレリングリコールを注ぎます。
チューブに2本入っている線の内、上の方の線まで入れるとちょうどいい量です。
大型の昆虫で組織が大きい場合、チューブに入れる前にエタノールに5分ほど漬けて脱水処理をします。
(組織からの脱水で、プロピレリングリコールが薄まってしまうため)
チューブのフタを閉じたら、パラフィルムを巻きます。
このくらいの長さで十分
だいたいシート幅の半分くらいの長さがあれば、チューブに2周は巻くことができます。
紙部分を剥がして、チューブの口周りを覆うように巻いていきます。
パラフィルムを伸ばしながら巻く
これでDNA保存の準備はOK
標本が光にさらされる環境の場合、PCRチューブにアルミホイルを巻いて遮光することが推奨されています。
(今回は暗所保管のため使わない)
あとは昆虫本体を普通に展足し、乾燥させます。
その間、PCRチューブは行方不明にならないように仮ラベルなどを通して保管するのがいいでしょう。
蝶番の部分に針を通す
鱗翅目なら展翅板の横に刺しておくこともできる
虫体が乾燥したら、虫体→PCRチューブ→ラベルの順に針に通します。

これで標本は完成(以下、ラベルは全て架空)
なお微小な昆虫の場合、脚を外すのではなく2個体目をまるまる漬けてしまうのも手です。
アリとかは全身でいっちゃうほうが楽
手法のメリット・デメリット
ここまで手法を紹介してきましたが、以降ではこの手法をやってみて私が感じたことをまとめていきます。
まずは本手法のメリットから。
一番は乾燥標本とDNAサンプルを一体で扱えることですね。
従来であれば液浸標本を別途作る必要があって、収蔵場所や管理の上でやりづらさがあったと思います。
しかし、この手法では今までの乾燥標本と同じように扱えるため非常に管理しやすいです。
またこの手法を使えば、完全な液浸標本も乾燥標本と同様に扱うことができます。
アリヅカコオロギの液浸標本
例えば小さなクモや無翅のやわらかい昆虫など、もともと液浸で作るのがデフォルトな生物の標本を瓶でなくこの手法で作ることで、乾燥標本と同列に整理できます。
デメリットについても考えてみましょう。
とにかくコンタミへの対策が面倒くさい、これに尽きます。
私はDNA解析とかの分野に明るくないので、これがどこまで妥協してよいものなのかも分かりません。
虫体を素手で触ってはいけないかもとか、PCRチューブも素手で触れないかもとか……あらゆる面で神経質にならねばならず疲れます。
手法は複雑ではないものの、アマチュア虫屋に高度なコンタミ対策を求めるのはかなり難しいと思いました。
それでもDNA保存標本を作らないよりはマシなのか、妥協するくらいなら作らない方がいいのか……そこらへんもっとハッキリさせたいです。
持ち帰りの上で1個体1容器というのも、1日に採集する昆虫が多い虫屋にはなかなか大変です。
どの虫をDNA保存標本にするか、現地で選別をすることになるでしょうね(あるいはコンタミ上等で全て同じ毒瓶に突っ込むか)。
個人的には、PCRチューブの大きさも気になりました。
小さい虫では虫体やラベルを完全に超えてしまう
チューブが大きいせいで標本箱の中で余計なスペースを取ってしまいます。
これではせっかくラベルを小さく作っても無意味になってしまいます。
ただこれについては、0.1mLのチューブを使うことである程度被害を抑えることができます。
0.1mLチューブで作製した標本(ニジュウヤホシテントウ)
別に0.1mLチューブを使うことには問題がなさそうなので、私は小さい虫にはこちらを使うことにしました。
0.1mLチューブの長さは17mmで、私が作るラベルより1,2mm長い程度で収まります。
チューブの大きさにまつわる問題はもう一つ。
幅を取るんですよね。
ラベルがギッチギチになる
台紙貼りの小さい昆虫なら何とかなりますが、大型の昆虫の場合チューブが針の大部分を占領してしまって、ラベルを刺す余地が全然残りません。
私は1標本につき3枚のラベルを通しているので、正直スペースはかなり厳しいです。
完全に重ねてしまうしかないですね……
どんな虫を対象に作ればよいか
DNAを長期保存する標本の作り方についてはここまででご理解いただけたかと思います。
では実際にその手法をやるとして、どんな虫を対象にすればよいのでしょうか?
理想を言えば「全部」なのだろうと思いますが、コンタミ対策やコスト、手間の問題もあり現実的ではないと思います。
「これだけはやっておこう」という虫がいればまずはそこから手を付けたいものです。
優先する昆虫を考える上で、DNA解析を用いた研究がどんな昆虫を対象に行われているかを知る必要があります。
この辺の分野の研究は全然分からず情報も少なかったので、試しにChatGPTで聞いてみました。
以下にその回答を抜粋したものを載せます。
「昆虫標本のDNAの活用事例を教えて」
1. 分類学と進化研究
昆虫標本のDNAを解析することで、遺伝的な系統関係が明らかになり、特定の昆虫がどのように進化してきたかを理解するのに役立ちます。
特に古い標本から抽出したDNAを使って、過去の遺伝的多様性や進化の過程を再現する研究も進められています。
2. 新種発見と種の同定
特に熱帯地域や絶滅が危惧される生息地から収集された標本は、新種発見のための重要なDNAデータ源です。
DNAバーコーディングという手法により、昆虫のDNA配列をデータベースと照合して、新種や未記載の種を特定できます。
外見が似ていて見分けが難しい種も、DNA分析によって区別しやすくなります。
3. 絶滅種や過去の環境の復元
博物館や大学に保存されている標本には、絶滅した種のDNAも含まれています。これにより、絶滅原因や過去の環境変動の影響を解明する手がかりが得られます。
例えば、特定の昆虫が絶滅した時期や地域の環境変動との関係を調べることで、生態系の変遷を再現することが可能です。
4. 生態学的なモニタリング
長期間にわたり収集された昆虫標本をDNAで分析することで、気候変動や環境汚染が昆虫の遺伝的多様性に与える影響をモニタリングできます。
特定の昆虫群のDNAを時系列で比較することで、地域ごとの遺伝的変化を把握し、生態系の健康状態を評価することが可能です。
5. 農業や医療分野への応用
農業害虫や病媒昆虫のDNA情報を活用し、それぞれの遺伝的特性や耐性を把握することで、より効果的な管理や駆除手法が開発されています。
病原体を媒介する昆虫のDNAを分析することで、感染リスクの予測や伝播経路の解明にもつながります。
えっと、つまり……?
- 外見が似ていて見分けが難しい種
- 絶滅が危惧される種
- 農業害虫や病媒昆虫
この辺りの昆虫はDNA情報の利用価値が高く、優先的にDNA保存標本を作製してあげると良さそう、という印象を持ちます。
実際、『タイムカプセルの開き方』では絶滅危惧種のコヒョウモンモドキとミヤマシロチョウの保全を目的としたDNA解析の事例が取り上げられています。
環境省や地域のレッドリスト掲載種は一つの作製目安にできそうですね。
クロヤマアリは形態で識別困難な4種からなる種群です
隠蔽種群からなるアリ類は、「外見が似ていて見分けが難しい」の分かりやすい例ですね。
自力で同定できなかった虫はDNAサンプルを残す、という習慣を作るのもいいかもしれません。
農業害虫や病媒昆虫はアマチュアが作って将来のために残すというより、もっとリアルタイムで収集・提供すべき分野かもしれませんが……クビアカツヤカミキリとかカシノナガキクイムシとかあの辺の虫はDNA情報に需要がありそうなのはイメージできます。
まとめ
今回はDNAを長期保存する昆虫標本の作製手法を実際に試しながら、手法やメリット・デメリットなどを紹介しました。
今後DNA解析の研究が増えていく中で、アマチュアが作る標本にも当然に求められる技術になっていくことが予想されます。
(コンタミを過度に気にしなければ)そんなに複雑な手法でもなく、コストも1個体10円程度(1000個体で1万円……)なので、私でも頑張ればやれそうです。
自分が持っている標本の価値をさらに高めたい、と考えるのであれば……試してみてはいかがでしょうか。
本記事で紹介した手法やDNA情報の活用事例については、『タイムカプセルの開き方: 博物館標本が紬ぐ生物多様性の過去・現在・未来』(種生物学会,2024)に詳しく書かれていますので、まずはこちらを読んでみることをオススメします。

タイムカプセルの開き方: 博物館標本が紬ぐ生物多様性の過去・現在・未来 (種生物学シリーズ)
博物館標本はタイムカプセル! 何が入ってる? どうやって調べる?
DNA解析技術の発展により,博物館の標本が雄弁に語りはじめた! 採集の時期や場所の情報,他の標本から得られたデータも組み合わせれば,生物多様性の歴史が見えてくる。過去を知り未来に活かすためのノウハウを簡明に解説。

コメント
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ChatGPTの正確性には問題があります。あくまで自分自身で検証可能な内容を尋ねるべきで、自身が知らないことを尋ねるツールではない、と私は思います。一読者として厳しいことを言いますが、普段からそのように情報収集をされているのだろうか、このページの正確性には問題があるのではないだろうか、と感じてしまいます。
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ChatGPTの回答は完全に信頼できないというのはもはや当たり前のことで、今回は参考程度のものとして載せただけに過ぎませんが、それにしては言葉が足りなかったかなと思いました。
念のため申し上げておくと、ChatGPTを記事に取り入れたのはこの時が初めてで、これ以降は現状使っていません。今後使うにしても本文とは隔離して明確に引用の形をとるなど使い方には注意するようにします。
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私としては、GPTを持ち出した時点で内容が「浅く」感じてしまうので、GPTについての言及は完全にやめ、アイディア出しにとどめ、ご自身の裏取りによって納得できた箇所だけを言及する方がいいんじゃないかな、と思いました。もちろん、GPTは使い方によっては有用なツールだと思います。